しましま。ろぐ。

煩わしくも愛おしい日々をひっそりと綴ります。

脱力しながら関わるということ

新年から暫く経ってしまいましたが、界隈の皆さんはお元気でしょうか?

 

管理人は猫たちの看病で憔悴しきっていましたが、体調も小康状態まで持ち直してくれたので(猫が)、わたしもそこそこ元気にやっています。

 

もともと体力のないわたしは、慣れない看病や通院でほとほと疲弊しており、思わぬ事態に気持ちが追い着かず、感情を整理するための日記も書けない状態でした。

 気力だけでなんとか駆け抜けていましたが、とうとうわたしも限界がきてしまったようで去年の秋頃にブログの更新が止まり、公開するのしないのと迷っていましたが、開けたり閉めたりしながら運営をしていこうと決めました。

 

このように書いているものの、決めてからひとっつもブログの更新をしていないので、あんまり意味はない決断だったのかもなぁ…。

とはいえ、いつでも開け閉めできるとなれば、少しくらいパーソナルなことを書いても緊張しなくていいのは気楽でよいです。(←いまここ)

 

看病をしていた頃はそれこそ全力でしたから、後悔がないようにと出来ることを片っ端からやっているような状態でした。自分が考えられる最善を尽くすだけで精一杯でしたし、今から思えば完全にオーバーワークでした。

 でも、この時はこれでよかった。諦めなくてよかった。たぶん自分のためだけだったなら、あんなに頑張れなかったし、きっともっと早くに諦めていたと思います。当時の自分よくやった。おかげ様でいい結果になりました。

 

だけど、当時は自分を労っていなかったなと反省もしています。

 

そんなに頑張っている自分にマッサージのひとつもしてあげなかった。心臓が痛くなるくらい気持ちがヒリついているのに、温かいココアの一杯すら入れてあげなかった。

 

「ここぞ!」という時は、限界を感じながら駆け抜けることも必要ですが、寄る年波というものでしょうか。力技だけではそろそろ無理がでてきました。

 病んだ猫たちもそうでしたが、疲弊したおしてる自分にも慰めが必要だったよなぁ…と、今になって思うわけです。

 

あれから、あらゆることに対して「脱力しながら関わること」を心掛けています。なんやかんやで完璧を目指そうとしてしまうのが、わたしの生きる癖のようです。

こんな自分と上手くやっていくには、肩の力を抜くこと。要所要所でテンパらないように注意喚起しながらやっていくのが良さそうです。

 

大切なのは自分を犠牲することではなくて、自分にとって優先していく順にエネルギーを傾けていくことだと今は思っています。

 人生の途中でちょっとした波が来たとき。またこの文章を読むであろう自分(や読者)が、とりあえず、自分のために温かい飲み物でも入れて、一息ついて労うのを忘れませんように。

 

 

 

しかし、今日は冷え込みますね。

風邪などひかないように温かくして休みましょう。またね。