しましま。ろぐ。

煩わしくも愛おしい日々をひっそりと綴ります。

自分じゃない「誰か」

夕食を終え諸々の片付けをして、22時。

 

もうそんな時間なのかと焦ってしまう。急かされているような気分になるから、見つめた時計から視線を外す。

 

日々の雑事に追われることで、考えることを放棄してしまいがちな自分。

圧倒的に薄っぺらい内省を繰り返しては、呪詛めいた文面を書いてしまっている。たぶん、わたしと同年代の人々は、わたしよりもずっと人生を熟知している。そう思えて仕方がない。

 

わたしは人生をサバイブする能力が乏しい。厳しい局面に抗う知恵もなく、辛かった事象を脳内で繰り返すことが止められない。まったく生きるのが下手で嫌になる。人並みといえるのは、年齢を重ねていることくらいか。

 

自分じゃない人生に憧れることはあっても、自分以外にはなれない。

 

何度も自問したことだから、そんなことは百も承知しているのだ。それなのに自分以外の生きることが上手な「誰か」に寄せていこうとしてしまう。「誰か」の回答に丸投げをして、自分の回答を導こうとしているのだ。こんな消極的な態度で挑むから、燃え滓みたいな結果が残される。

 

 キラキラしている「誰か」がわたしのような人に向けて提案している好きなことや人生訓。それらがわたしに向いているかどうか、それは実のところ分からないのに。

もっと生きることが上手で、自分にとって必要な人に長年慕われていて、いつも自己を向上させているような。そんな、キラキラした生き方はわたしには無理だった。

 

 

また、別の手段を探るしかなさそうだ……。