桜はモス、明日も我が身
桜はもう……
と、打とうとして「桜はモス」になったのだ。パッと見では某企業によるキャッチフレーズみたいだな。要はタイプミスによる誤変換なのだけど、こういうことは結構あるように思われる。
そういえば、唐突に思い出したことが。
知人や友人にあてたメッセージなど、日常生活の中で文章が交わされることがある。そのやりとりの中で、ミスタッチによるものか、はたまた誤変換なのか。ときどきその文章に刮目することがある。それだけで済めば全然よろしい。
しかし、間違って変換された文字や文章をうっかり読むと、まるで脳内のバグが可視化されたようで、恐ろしいユーモアを内包していることがある。
例えば、数少ない私の友人Sとの話。休職中の友人を応援というか、慰めのメッセージを送信した私が、Sを攻撃する訳もないだろう。援護する流れで、返信した文章がそれは恐ろしかった。
「Sさんは、人生の夏休み。不要家族です4ね 」
ちがうちがう、そうじゃないんだ。正しくはこうだ。
「Sさんは、人生の夏休み。扶養家族ですしね 」
お次はこれ。これも私が「やってしまった」話である。喪互いに妙齢な友人と、老後のことを慮って提案をし合っていたのですよ。そこで、私は……。
「私たちが老人になって、まだ一人だったら一緒に相撲(住もう)よ。」
「相撲よ」って何それ。表情を失いそう。これはもう、新しく行を使って説明したくないよ。返信には「……押忍」とあり、語り口が静かなのが余計に哀愁を誘うではないか。これらは、他人ごとだから笑えるのであって、いざ自分発信で経験をしたら、肝を冷やすことだろう。明日も我が身と自戒しつつ、人に送る文章には充分に気をつけネバネバなるまいよ。
まだ5月にもなっていないのに、桜はもう葉桜。ときおり初夏の匂いを放つ、緑が美しい。こんな書き出しで、そのうちまた雑記を書くと思います。